栗原の歴史
株式会社栗原は明治4年にランプの販売で創業しました。
その後ガラスの販売を開始し、高度成長期における国内住宅着工増加の波に乗り、アルミサッシの販売で事業を拡大してきました。
日本の市場開放と環境変化
高度成長期の後半、日本は対米で多額の貿易黒字を計上が続いたため、日米の貿易不均衡の解消が求められるようになりました。
1985年にはプラザ合意が行われたことによる、急速な円高に加えて、海外からは日本の財・資本の市場開放要求が押し寄せてきました。急激な国内市場の環境変化です。
円高により海外からは質の良い商品が次々と流入してきたため、国内産業は構造改革を迫られました。栗原としては高度成長期に頼ってきた「右から左に流すだけの商売」ではこの先が立ちゆかないと考えました。
自社製造への挑戦
当時、栗原の経営者であった栗原偉行は折しも業界の副理事長として日米構造協議に参加していました。海外のガラス・窓事業者の経営を知ると、窓を一貫生産している企業が多く見受けられました。
K-WINDOWの誕生
社内は自社生産に対して意見は二分しましたが、最終的には「自社でも独自商品を持つべきである」と方針を決定しました。
1997年、社内で複層ガラスから窓までの一貫生産を開始することになりました。これは国内のガラス商社としては初めての試みでした。
当時、複層ガラスの製造を行うメーカーは日本には無く、機械を購入するオーストリアまで技術者を派遣し技術の習得に努めました。
さらに表面に金属をコーティングした特殊ガラスを使い、熱伝導性の低い樹脂サッシを使った【K-WINDOW】がここに誕生したのです。
窓で社会貢献
窓は住宅の断熱性を決める最も大きな要素です。そのため、窓の断熱性が高まれば省エネルギーで環境に優しい窓を作ることができ、ひいては環境問題で社会に貢献できます。
また、住みやすい住宅は人々を健康で幸せな生活を提供することができます。
これが栗原が考える社会貢献です。